
天気予報を見るより先に、銀太の様子が変わる。
ある朝ふと気づくと、ソファに白い毛が浮いている。
撫でようと手を伸ばせば、指のあいだから毛がふわりとこぼれていく。
ああ、もうそんな季節か、と思う。
カレンダーに「春」と書いてあるわけでも、ニュースが「今日から本格的な春の陽気」と伝えているわけでもない。
ただ、銀太の毛が教えてくれるのだ。
柴犬と暮らすようになってから、季節の感じ方が少し変わった。
気温や花粉の飛散量よりも先に、銀太のちょっとした変化で「ああ、季節が動いた」と気づく瞬間が増えた。
それは予報でも統計でもなく、毎日そばにいる小さな命から届く、生の便りだ。
春のサイン ── 換毛期という名の"毛の嵐"
春が来たことを、銀太の毛量で知る。
三月の終わりごろから始まる換毛期は、毎年「今年もか」と苦笑するほどすさまじい。
ブラッシングをすれば小動物が一匹生まれるのではないかという量の毛が出てくるし、床に掃除機をかけても翌朝にはうっすら毛のカーペットができあがっている。
それでも、嫌だとは思わない。
丁寧にブラシを入れていると、銀太は目を細めて気持ちよさそうにしている。
毛が抜けるたびに、冬のあいだ体を守っていた防寒着が脱ぎ捨てられていくような、そんな清々しさを感じる。
春の換毛期は、銀太にとってのクローゼットの模様替えなのかもしれない。
飛び散る毛に文句を言いながらも、この作業が終わると「ああ、春がちゃんと来た」という妙な達成感がある。
コートを衣替えするよりも、ずっとリアルな春の手触りだ。
夏のサイン ── 日陰を探す天才

銀太は、夏のアスファルトを本能で避ける。
六月を過ぎるころから、散歩のルートが変わる。
いつも迷わず進む道で急に立ち止まり、鼻をひくひくさせてから、日陰になっている細い路地のほうへ引っ張っていく。
こちらが「そっちじゃないよ」と引き戻そうとしても、がんとして動かない。
最初は「わがままだな」と思っていた。
でも、しゃがんでアスファルトに手のひらを当てると、なるほど、と思う。
日向のコンクリートはじりじりと熱く、日陰との温度差は明らかだ。
銀太はちゃんと知っていたのだ。
その後から散歩の際は、先に日陰を確認してルートを決めるようになった。
銀太に教わったことだ。夏の散歩は朝早くか夕方以降。
日が落ちきらないうちは、地面の熱が残っている。
銀太が立ち止まる回数が増えてきたら、それが「今日は暑い」というサインだと学んだ。
温度計より先に、銀太がそれを知らせてくれる。
冬のサイン ── 丸まって、小さくなる夜
秋が深まると、銀太が丸くなる。
正確にいうと、寝るときの姿勢が変わる。
夏のあいだはへそ天でだらりと伸びて寝ていたくせに、気温が下がりはじめると、くるりと丸まって鼻先をしっぽに埋めるようになる。
あの「まんじゅう」みたいな姿を見ると、「あ、冬が来たな」と思う。こたつよりも先に、銀太が冬のはじまりを教えてくれる。
夜勤明けに帰ってきて、薄暗いリビングに銀太が丸まって寝ているのを見ると、不思議と体の力が抜ける。
疲れているはずなのに、ほっとして、思わず隣に座ってしまう。
寒い夜、小さく丸まった銀太の隣にいると、なんだか自分も守られているような気がする。
あたためているのかあたためられているのか、もうよくわからない。
でも、それでいい。冬の銀太は、そばにいるだけで暖かい。
まとめ ── 銀太がいるから、季節がやってくる
柴犬と暮らす前、季節は「気温」や「行事」で感じるものだった。
花粉が飛べば春、エアコンをつければ夏、コートを出せば冬。
どこか記号的で、季節が「通過するもの」になっていた気がする。
でも今は違う。
換毛期のブラッシングで春を知り、日陰を選ぶ銀太の背中で夏を感じ、丸まった寝姿で冬のはじまりに気づく。
銀太がいると、季節がちゃんと「やってくる」ものになった。
肌で感じるというより、もっとそばで、もっと具体的に。
カレンダーをめくる前に、銀太が季節を連れてくる。
そういう暮らしが、思いのほか悪くない。
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