コラム-しっぽの向くまま

人見知りのわたしが柴犬のおかげで知らない人と話せるようになった話

わたしは人見知りだ。

正確に言うと「人見知りだった」のかもしれないけれど、銀太が来るまでは間違いなくそうだった。

知らない人に話しかけられると体が固まる。自分から話しかけるなんて、ほぼ無理。

街ですれ違う人と目が合うと、すぐそらす。

そういう人間だったわたしが、今では散歩中に知らない人と立ち話をしている。

銀太がいるせいだ。完全に、銀太のせいだ。

以前のわたしの散歩スタイル

銀太を迎える前、わたしは散歩というものをしていなかった。

休日は家にいるか、近所のコンビニに行くか。道ですれ違う人とは目を合わせず、挨拶もしない。

それが普通だと思っていたし、それで特に困ってもいなかった。

銀太を迎えて散歩デビューをしたとき、最初はただ歩くだけだった。

銀太の鼻先を追いながら、なるべく人が少ない時間帯を選んで、さっさと帰ってくる。そういう散歩だった。

最初に話しかけられた日

散歩を始めて2週間くらいたったある朝のこと。

川沿いの道で銀太が急に立ち止まった。においを嗅ぎ始めたので、わたしはリードを持ったまま待っていた。

そこへ向こうから柴犬を連れたおじさんがやってきた。

「あ、柴犬ですか」

そう話しかけられたとき、わたしは一瞬固まった。

でも、銀太がそのおじさんの柴犬に鼻を近づけていくのを見て、なんとなく「はい、柴犬です」と答えた。

「うちも柴なんですよ。何歳ですか」

気づいたら5分くらい話していた。

帰り道、なぜか気持ちが軽かった。

銀太がいると、なぜ話せるのか

あれから何度も同じようなことが起きた。

公園で「かわいいですね」と声をかけられる。

スーパーの駐車場で「柴犬ですよね、うちも飼ってて」と言われる。

子どもが「わんわん!」と近づいてきて、その親御さんと少し話す。

不思議なのは、そのたびにわたしが普通に話せていることだ。

たぶん、銀太が「話題」を持ってきてくれているのだと思う。

わたし自身のことは何も言わなくていい。

「柴犬ですか」「何歳ですか」「名前は」。

そういう質問に答えているだけで、会話が成立する。

わたしの人見知りが発動する前に、銀太が場を作ってくれている。

もうひとつ気づいたことがある。

犬の話をしているとき、相手は「犬好きな人」だ。

犬好きな人は、たいていやさしい。威圧的じゃないし、急がせない。

銀太を見ながら話すから、目線の向き先もある。

そういう条件が重なって、わたしでも話せる状況ができているのだと思う。

今では名前を知っている人が3人いる

散歩コースに「名前を知っている人」が3人できた。

毎朝川沿いで会う柴犬のおじさん。

週末の公園でよく見かけるトイプードルの女性。

夕方の路地でときどきすれ違うビーグルの男性。

名前といっても、犬の名前だ。飼い主の名前はまだ知らない。

でも「ゴンタくんのおとうさん」「ミルクちゃんのおかあさん」という形で、顔と存在を知っている。

すれ違うと会釈する。たまに一言二言話す。

これがわたしにとって、かなり大きな変化だ。

銀太が来る前のわたしは、近所に顔見知りが一人もいなかった。

今は3人いる。銀太のおかげで、わたしの世界が少しだけ広がった。

まとめに代えて

人見知りは治っていない。

知らない人に自分から話しかけることは、銀太がいなければ今でもできない。

でも、銀太がいれば話せる。それでいいと思っている。

銀太は「コミュニケーションのきっかけ」を持ってくる。

わたしはそれに乗っかるだけ。主役はいつも銀太で、わたしはただそこにいる。

でも、それで世界が少し広がるなら、こんなに頼もしいパートナーはいない。

今日も銀太を連れて散歩に出る。川沿いで誰かに話しかけられるかもしれない。

以前のわたしなら嫌だと思っただろうその可能性が、今はちょっとだけ、楽しみになっている。

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