
テレビをつけているのに、画面をほとんど見ていない。
そんな自分に気づく夜が、最近やけに増えた。
ソファに腰を下ろし、リモコンを手に取ってニュースを流す。
一日の終わりに、ぼんやりと画面を眺める。
そんなつもりだったはずなのに、気がつくと視線はテレビではなく、床の上にいるあいつに向いている。
うちの柴犬は、今日も特に何をするでもなく、ただそこにいる。
それなのに、なぜか目が離せない。
たとえば、しっぽ。

さっきまでピクリとも動いていなかったのに、突然ゆらりと一振り。
たったそれだけの動きに、「今、何か感じたのか?」と無駄に想像してしまう。
あるいは、寝返り。

丸くなって寝ていたと思ったら、ふぅ、と小さくため息をついて、体を伸ばし、ゆっくり向きを変える。
ただそれだけなのに、なぜか「今の寝返り、ちょっとかわいかったな」と思ってしまう自分がいる。
極めつけは、視線だ。
ふと顔を上げて、こちらをじっと見てくるあの感じ。

何かを訴えているようで、実は何も考えていないような、あの絶妙な表情。
つい「どうした?」と声をかけてしまうが、大抵はそのまままた寝る。
完全に振り回されている。
その間、テレビはずっと何かをしゃべっている。
アナウンサーが真面目な顔でニュースを読んでいるのに、内容はまったく頭に入ってこない。
さっきから同じニュースを聞いている気がするが、それすら曖昧だ。


「今のニュース、何だったっけ?」
自分に問いかけても、答えは出ない。
でも不思議なことに、さっき柴犬がしっぽを三回振ったことは、ちゃんと覚えている。
完全に優先順位がおかしい。
昔は、こんなことはなかった。
テレビをつければ、ちゃんと番組を見ていたし、内容もそれなりに覚えていた。
それが今では、画面はただの“音”でしかなくなっている。
じゃあ、なぜこんなことになったのかと考えてみる。

理由はたぶん単純で、柴犬の動きは“予測できないから”だと思う。
テレビは、だいたい予想がつく。
ニュースも、ドラマも、なんとなく先が読める。
でも、柴犬は違う。
急に立ち上がったり、何もないところをじっと見つめたり、意味もなく場所を変えたりする。
しかも、それがすべて“どうでもいい動き”なのに、なぜか気になる。


いや、むしろどうでもいいからこそ、見てしまうのかもしれない。
結局、私の生活の中心は、いつの間にかテレビではなく、この小さな同居人に移っていたのだろう。
今夜も、テレビはついている。
ニュースキャスターが何かを熱心に伝えている。
でも、私の視線はその横をすり抜けて、床の上にいる柴犬に向かっている。

さっきまで寝ていたはずなのに、今は前足をちょこんと伸ばして、また別の体勢になっている。
その変化を、私はしっかり見逃さない。
そして、ふと思う。

今日のニュースはひとつも覚えていないのに、柴犬の寝返りは三回、しっぽは五回振ったことを覚えている。
まあ、それで困ることは、今のところ特にない。
むしろ、そのほうがちょっとだけ、いい夜な気がしている。
