
夕方、テレビの前でのんびりしていると、部屋の隅で丸くなっていた我が家の柴犬”銀太”(以下、銀太)が、静かにこちらを見ていることがある。
いや、正確に言うと「見ている」というより、「監視している」という表現のほうが近い。

なぜなら、私は知っているからだ。
銀太は、ある音にだけ異常に敏感なのである。
それは、インターホンでもなければ、私の「おいで」という呼び声でもない。
むしろ「おいで」なんて言葉は、ほとんど風の音と同じ扱いだ。
だが、ひとつだけ例外がある。

袋の音だ。
ある日のこと。
私は台所でこっそりとおやつを食べようとしていた。
「今日は静かに食べよう」
そう思い、周囲を見渡す。
銀太はリビングの端で、ぐっすり寝ている。
耳も動いていない。

よし、大丈夫そうだ。
私はそっと棚からお菓子の袋を取り出し、できるだけ静かに開けようとした。
……カサ。
ほんの、わずかな音だった。
ほぼ無音に近い。
人間の感覚なら、これは「静かに開けた」部類に入る。
その瞬間だった。

さっきまで寝ていたはずの銀太が、ピタッと起き上がった。
そして、ゆっくりこちらを見る。
「……え?」
私は思わず固まった。
いやいや、さっきまで寝てたよね?
しかもここ、リビングじゃなくて台所だぞ?
銀太はしばらく私を見つめたあと、静かに立ち上がり、トコトコと歩いてくる。
その顔は、なんとも言えない真剣な顔だ。
そして私の前まで来ると、座る。

何も言わない。
ただ座る。
しかし目だけが言っている。
「今、袋開けたよね?」

いや、あのね。
なんでそれは聞こえるんだ。
私は普段、何度も銀太を呼ぶ。
「おいでー」とか「散歩行く?」とか。
だがその時の反応は、たいていこんな感じだ。
耳だけ少し動く。
しかし体は動かない。

むしろ目をそらす。
完全に「聞こえてるけど行かない」タイプである。
なのに、袋の音だけは違う。
遠くにいても。
寝ていても。
扉が閉まっていても。
必ず来る。

一体どういう耳をしているんだろう。
柴犬の耳は三角で、ピンと立っている。
見た目からして「よく聞こえそう」ではある。
だが、ここまで袋音に特化した耳は、ちょっとどうなんだ。
もしかすると柴犬の耳には、普通の周波数とは別に、” おやつ専用の音域 ”があるのではないか。
人間には聞こえない、カサカサ音の微妙な振動。
それをキャッチする特別なセンサー。

そう考えると、すべて説明がつく。
実際、我が家の柴犬”銀太”は、袋を持っていないときにはそこまで近寄ってこない。
だが袋を持っているときだけ、なぜか距離が近い。
あまりに露骨である。
私は観念して、袋の中から一枚取り出す。
「はいはい、バレてましたね」

銀太は満足そうにそれを食べると、「任務完了」と言わんばかりの顔でまた元の場所へ戻っていく。
そしてまた丸くなる。
さっきまでの鋭い耳はどこへやら。
まるで何事もなかったように眠り始める。

私は袋を見ながら、ひとりでつぶやく。
「なんでこの音だけ聞こえるんだよ……」
けれど、まあいい。
柴犬という生き物は、だいたいそんなものだ。
飼い主の声は聞こえないのに、袋の音だけは絶対に聞き逃さない。

その不思議な耳も、食いしん坊な性格も、
全部まとめて柴犬らしい。
だから今日も私は、こっそり袋を開けようとして、そして必ず見つかる。
……そして結局、半分は銀太に取られるのだ。

柴犬って、本当に面白い。