コラム-しっぽの向くまま

銀太が立ち止まるたびに、わたしも止まる|柴犬が教えてくれた「ゆっくり」の話

銀太はよく立ち止まる。

散歩の途中、何の前触れもなく突然止まる。

においを嗅いでいることもあるし、何かを見ているのかもしれない。

あるいは、ただ気まぐれで止まっているだけかもしれない。

理由はよくわからない。

最初のころは、正直イライラしていた。「早く行こう」「また止まった」と思いながらリードを軽く引いたりしていた。

でも最近は、銀太が止まると、わたしも一緒に止まるようにした。

それだけで、見えるものが変わった。

わたしは、ずっと急いでいた

夜勤のある仕事をしていると、時間の感覚がおかしくなることがある。

昼に寝て、夜に起きる。

休日も「次の出勤まで何時間あるか」を計算しながら過ごす。

気づけば、何をしていても「早く終わらせなければ」という感覚がつきまとっていた。

散歩もそうだった。

銀太を連れて外に出ても、頭の中では「あと何分で帰れるか」「帰ったら何をするか」を考えていた。

散歩している場所にいるのに、気持ちはすでに家に帰っていた。

銀太は関係ない。

自分のペースで歩き、自分のペースで止まり、自分のペースでにおいを嗅いでいる。

急がない。時計を気にしない。次のことを考えない。

そのことに気づいたのは、ずいぶんあとのことだった。

立ち止まると、見えるものがある

ある夜の散歩中、銀太がいつものように立ち止まった。

わたしも一緒に止まって、なんとなく空を見上げた。

夜勤明けで疲れていて、頭がぼんやりしていた。星が出ていた。

こんなに星が見えることに、今まで気づかなかった。

次の日の早朝の散歩では、銀太が公園の入り口で止まった。

一緒に止まって周りを見ると、木の葉が風で揺れていた。

葉っぱが光に透けて、きれいだった。

いつも通る道なのに、今まで一度も見ていなかった。

銀太が止まらなければ、わたしは止まらなかった。止まらなければ、見えなかった。

急いでいると、景色がただの「通り道」になる。

立ち止まると、そこにある「何か」が見えてくる。

「ゆっくり」は、さぼることじゃない

以前のわたしにとって、「ゆっくりする」ということは、何かをさぼっているような感覚があった。

急いでいないと、遅れている気がした。

立ち止まっていると、損をしている気がした。

休んでいると、何かに取り残される気がした。

銀太と暮らして、その感覚が少しずつ変わってきた。

銀太は急がないが、ちゃんと前に進んでいる。

立ち止まるが、散歩はちゃんと終わる。ゆっくり歩いても、家には帰り着く。

急がないことと、怠けることは、違う。

立ち止まることと、止まってしまうことは、違う。

そんな当たり前のことを、銀太に教えてもらったような気がしている。

散歩が「移動」じゃなくなった日

気づいたら、散歩の時間が変わっていた。

以前は「終わらせるもの」だった散歩が、今は「過ごすもの」になっている。

帰る時間を気にしなくなった。銀太が止まったら、一緒に止まる。

においを嗅いでいたら、待つ。風が気持ちよければ、少し立って感じる。

それだけのことが、なんだか豊かな時間に感じる。

夜勤明けで疲れた日も、気持ちが重い日も、銀太と一緒に外に出ると少しだけリセットされる感覚がある。

銀太が「ゆっくり歩こう」と言っているわけではない。

ただそのペースに乗っていると、自然とそういう気持ちになってくる。

まとめに代えて

今日も銀太は立ち止まった。

住宅街の角で、何かのにおいをずっと嗅いでいた。

どんなにおいなのかは、わたしにはわからない。

でも銀太にとっては、そこにいる理由がちゃんとある。

わたしはリードを持ったまま、ぼんやりと空を見上げた。

雲が流れていた。風が少し冷たかった。

急ぐことは何もなかった。

銀太が動き始めたら、また歩く。

それだけでいい。そういう散歩が、今はいちばん好きだ。

🐾 柴犬・銀太の日常は、Xでも毎日発信中!柴犬あるある四コマ漫画もお楽しみいただけます。

Xでフォローはこちら → @sibaginta_blog1

-コラム-しっぽの向くまま