
朝のリビングは、だいたいいつも静かだ。
コーヒーの湯気がまだ迷子のように漂っている頃、ソファの端っこに丸まった私の愛犬 柴犬”銀太”(以下、銀太)が、半目でこちらを見ている。

その顔が、なんとも言えず無防備で、つい魔が差す。
「よし、今日は抱っこしてみよう」
誰に頼まれたわけでもない。むしろ止める人がいれば止めてほしい。
だが中年男というのは、なぜかこういう余計な決意を朝に固めがちだ。

そっと近づくと、銀太は気づいているくせに気づかないふりをする。
耳だけがミリ単位で後ろに倒れ、「嫌な予感フォルダ」を開いているのがわかる。
それでも私は抱き上げる。
一秒。
「……」
二秒。
「……ん?」
三秒。
ジタッ。
氷が割れるように体をひねり、するりと腕を抜け、床に着地した瞬間にはもう別の生き物の顔になっている。

「やれやれ」とでも言いたげな横目。
口元はへの字。
しっぽは、感情をしまい忘れたメトロノームのように小刻みに揺れている。
こちらはというと、宙に取り残された腕をゆっくり下ろしながら、軽く息が切れている。
たった三秒。
たった三秒なのに、腰にくる。
若い頃は犬に逃げられても笑っていられた。

今は逃げられたあと、関節の無事を確認してから、心のダメージを受け止める。
「そんなに嫌か」
声に出すと負けた気がして、心の中でつぶやく。
銀太はもう興味を失った顔で、窓の外を眺めている。私の存在など、空気清浄機の次くらいの扱いだ。

それでも不思議と腹は立たない。
むしろ、ちょっと羨ましい。
嫌なものを嫌な顔で拒否できる、その正直さ。

機嫌が悪ければ耳で語り、満足すればしっぽで語る、その単純さ。
こちらは違う。
会社では愛想笑いを抱きしめ、理不尽を抱っこし、ついでに将来の不安まで抱え込んでいる。
それでも三秒で逃げるわけにはいかない。
銀太は逃げる。
私は耐える。
役割分担としては、まあまあ公平だ。
しばらくすると、彼は何事もなかったように私の足元に来て、どすんと座る。

目も合わせない。
でも距離はゼロ。
それが柴犬流の謝罪なのか、単なる暖房代わりなのかはわからない。
私はまた抱っこしない。
代わりに、そっと背中を撫でる。

逃げない。
三秒ルールは、抱っこ専用らしい。
その温度を感じながら、コーヒーを一口飲む。

少し苦い。
でも、悪くない朝だと思える。
足元で、銀太が小さく鼻を鳴らした。
今日も、抱っこは三秒まで。
それでいい。